7.
趙雲の買い出しは、それはもう大荷物だ。
なにせ育ちざかりが八人もいる。加えて馬兄弟が頻繁に入り浸っているし、育て子の父親たちもそれはもうよく食べる。カートに山積みに食材を買い込んでいっても三日と持たない。そのため、ほぼ毎日と言っていいほど、趙雲はマンションから近いこの大型スーパーを利用している。
買い出しメモを見ながら特売をチェックすることを欠かさない。
今日は阿斗様の好きな牛乳プリンにしよう、と未だ趙雲は雇主の嫡男を幼名で呼びながら一リットルの紙パック牛乳に手を伸ばした。
「奇遇ですね、趙雲殿」
ふと隣に立った青年に声を掛けられた。見上げると陸遜が笑みを浮かべている。
「陸遜殿、お店の買い出しですか」
「いいえ、今日はお休みなんです」
陸遜はこのあたりに住んでおりよくこのスーパーに買い物に来るのだという。
よく見ればジャージにシャツという非常にラフな服装だ。普段見ているかちっとしたギャルソンの恰好とは正反対にも近い其れ。
「なんだかいつもと雰囲気が違いますね」
「驚いちゃいましたか」
「少し」
くすくすと趙雲が密やかに笑う。陸遜の頬か俄かに朱を帯びた。
「でもいつもと違う陸遜殿の姿が見れて得した気分です」
「でも、折角お店以外で逢えたのですからこのままデートに誘っても大丈夫な服装をしてくればよかったです」
陸遜は口を尖らせがっかりと肩を落とす。その姿を見て、趙雲は一つ閃いた。
「陸遜殿、少しお時間はありますか」
「え?ええ、勿論ですが…」
怪訝な表情で頷く陸遜に、趙雲は店内の時計を確認する。
午後はまだまだ長い。
「私の家に来ませんか、できればおいしいプリンの作り方を教えていただきたいのです」
自分の持っていた籠を落として、陸遜は趙雲の両手を自分の両手で包み込むように握った。
「勿論です!」
紅潮した陸遜を見て、趙雲は優しく微笑む。
弟がいたらこんなふうなのかな、と嬉しくなる趙雲に陸遜の気持ちが届くのはまだ先のことになりそうである。
8.
料理も掃除も接客も、全てにおいて完璧な趙雲であったが、一つだけ、苦手なことがあった。
それは今でも語り草となっているもので、近年彼がそれを手にしている姿を見たことはない。
いつの頃からであっただろうか、時節は過去へと戻る。雇主劉備の嫡男阿斗が保育園にはいるときのこと。
一枚の紙を前に趙雲は唸っていた。
新しく入園する子供の保護者宛に配られた、送り迎えの諸注意から、持ち物には名前を書くことまで細々と書かれた注意書きの通知。
その下にある持ち物欄の欄、括弧書きにされた「道具箱を入れる袋」の文字。そして床に広がる色鮮やかな布。
先日趙雲は阿斗を連れて裁縫用具店を訪れていた。この袋を購入するためだった。店内には同じような子供たちがちらほらいて、皆思い思いの袋を購入していた。
「阿斗様、どれがいいですか」
趙雲はしゃがんで指さした。人気のキャラクターが描かれたもの、動物が並んでいるもの、しかしそのどれも阿斗は激しく首を横に振った。
ううん、と趙雲は困り果てながら、泣き出しそうな阿斗を宥め抱き上げる。
「阿斗様これはだめですか」
持ち上げたのは恐竜の絵の描かれたもの、じっと阿斗は握り締め見つめるも、違うと放り投げて暴れた。
ほとほと困り果てた趙雲に阿斗はちー、と肩を叩いた。
「ちー」とは阿斗が趙雲を呼ぶ名だ。訳がわからずされるがままにしていると、阿斗は趙雲の肩辺りに身体を寄せて、首筋に手を伸ばす。
「ちーと、同じ!」
あ、と趙雲は声を上げる。
阿斗は知っているのだ。そっと趙雲は首筋に手を当て、詰襟の服を着ているにもかかわらず無意識に隠す仕種をした。
首筋に彫られた「昇龍」の模様を阿斗は言っている。
趙雲は途端、居たたまれなくなって逃げるようにして店を後にした。
9.
子供向けに龍の模様が入った布など在りようもなく、趙雲は腕組みをして思案した。
最も手っ取り早いのは龍の絵を書いて縫い付けることなのだが。
いざ!と趙雲は布用のペンを取出し、数分後、彼は見事に項垂れていた。
「なんだこりゃあ、ブタか?猪か?」
「翼徳なにをいっているのだ、これは馬だろう」
「いや、僭越ながら兄者、これはペンギンでござろう、二つ脚でたっておりますぞ」
「違います、昇龍です」
低いおどろおどろしい声が否定する。夕陽で赤く染まった室内で、その声はやけに恐ろしいものに感じた。三人はどうにか取り繕ろうと首を揃えてまじまじとその糸一本一本の仔細に至るまでその絵を見るもやはり先ほどと同じような感想しか出てこない。
趙雲は絵心がなかった、それは悲しくなるほどに。
「阿斗様が!私の昇龍の刺青とお揃いがいいというから!描いたのです!」
声は震え、涙が滲んでいる。しかし龍の「り」の字も思い浮かばないその絵に、三人は掛ける言葉が見つからない。
「ちー!」
そこに趙雲の言いつけどおり外から戻り真っ先に洗面所で手洗いと嗽を終えた阿斗が抱きついてきた。
「・・・は!阿斗様!?」
マリアナ海溝より深く落ち込んだ趙雲が気づくのは遅かった。既に阿斗の手の中には趙雲が作った「お道具箱を入れる袋」握られており、阿斗はそれをじっと見つめている。嫌がられるか、泣かれるか、趙雲の瞳が不安に揺らぐ。
「阿斗様、そ、それは違います、違うものを用意しますから…、」
手を離して、存在そのものを忘れてほしいと手を伸ばす、しかしその願いは叶わなかった。
「ちー!」
にか、と阿斗が笑う。ぎゅうと抱きしめ満足気に。
「阿斗様…」
趙雲の顔が見る見るうちに歪んでいく。嬉し涙がぼろぼろと零れ落ちた。
「阿斗様―!」
趙雲は阿斗を抱きしめ、ずっと、ずっと腕に抱いていた。
「いいなー!コレ、超可愛いんですけど!」
草臥れた布製の袋を持ちあげて法三条が声を上げる。それは十年も前に趙雲が阿斗に作った「お道具入れ袋」であった。その袋は阿斗が小学校にあがるときには借りた本を入れる袋となり、中学、高校と姿を変えながらも使用されていた。
いいなぁ、と連呼する鮑三娘に、星彩も羨ましげな視線を阿斗に送っている。俺も欲しい、と控えめに手を上げる関索と関興。張苞はぎゃんぎゃん恨めしいと叫んでいる。
「ならば趙雲に頼んで皆の分も作ってもらおう」
意外なところで爆発的ヒットを巻き起こしている趙雲作画の「昇龍」、知らぬは本人ばかりなり、である。