そして、きみは微笑んで
※歴史群像及びエンパ設定(孫市と慶次と忠勝が真田家に仕官)
初めて出会ったとき、衝撃が走った。
猿飛佐助という男に誘われて、其のとき偶然知り合った孫市とともに仕官したのが信州上田の真田昌幸であった。種子島を上回る新たな火器を自前で作っているということに孫市が興味を持ったことは勿論であったが、四面を敵に囲まれながらも飄々と大名らを手玉に取るその小気味よい姿に二人は真田に身を置くことを決めた。
真田に世話になって一ヶ月にも満たない頃、孫市と慶次を持て成す宴が催された。どちらも其の名を聞かせる男である。本来ならば真田に身を置くことを決めてくれた其の晩にでも行いたかったというのが昌幸の言葉であったが、この祝いにはもう一つの目的があるのだ、と昌幸は悪戯に笑ってみせる。己が愛息、次男の真田幸村が夕刻には上田に凱旋するとの知らせが入ったとのことであった。慶次と孫市が上田に来るよりも前に戦は終えてはいたが戦後処理に時間が掛かってしまい本隊の帰国が遅れてしまったようであった。ぜひとも二人に紹介したいと親馬鹿丸出しに昌幸は目元を緩め、次男について語り始めた。
「真田幸村にございます」
両手の指先をついて、背筋を真っ直ぐに一礼した人物は、若き武士であった。
礼節正しい若武者に真田の大殿は勿論、真田家譜代の家臣らも深い慈愛の眼差しと彼の者へ、また新参の慶次と孫市には誇らしげに胸を張っていた。
背を正したままの次男の後ろに控えていた男に、昌幸は戦の流れはどうであったかを訊ねればその大男は垂れていた頭を上げ、その人物が誰かに気付いた孫市は目を丸くした。家康の信頼厚い無傷の武士本多忠勝であった。忠勝は幸村の薫陶を両手話に褒めた。
あの本多忠勝にまで認められるほどの武士であったとは、忠勝から語られる幸村の武功から垣間見える、その清廉な顔に似合わないほどの荒武者ぶりに孫市は舌を巻く。そして慶次も同じように思っているだろうと声を掛けようとして、孫市は顔を引き攣らせた。
喜色満面の笑みを浮かべ、今にも舌なめずりし始めそうな勢いで幸村に熱い視線をおくっている慶次がいたからだ。
あわあわと孫市が蒼白になって膝で後退しはじめたとき、いつの間にか忠勝による幸村の武勇伝語りは終えていたらしく、幸村が二人方へ体を向けて、殊更丁寧に挨拶をしたところであった。
「雑賀様、前田様、これよりなにとぞよろしくお願いいたします」
主君の息子とて一介の武士であると己の身を弁えた慇懃な礼に、孫市はくすぐったいと苦笑を零す。
「いいって、そんなにかしこまらなくったって。真田の若君、孫市って呼んでくれて構わないさ」
なぁ、慶次、と話を振るが慶次には全く届いていない。
後でぶん殴る、と心に決めながら、鈴の鳴るように笑われて孫市はどきりと大きく脈打った心臓に動揺を隠せないまま幸村を見つめた。
「ならば私も幸村と呼んでください」
わかった、と孫市と幸村は手を合わせる。孫市とは滞りなく挨拶を終えた一方で幸村は慶次のほうを向いて眉を下げた。
「え、と、あの・・・前田様?」
心ここにあらずといった風体で自分を熱い視線で嘗め回すように見つめている金獅子の如く歌舞いた男に幸村は戸惑いを隠せない。先刻孫市が声を掛けたときも無反応であった。
何か不興を買ってしまったのではないか、と幸村が恐る恐る声を掛けようと口を開いたときであった。
「惚れた!!」
大きな声とともに抱きつかれ、幸村の頭は真っ白になった。
注連縄のような逞しい腕に体を拘束され、身動きが取れない。みしみしと悲鳴を上げる体に、幸村の意識が遠のく。
「わぁああ!やめろ、この馬鹿!!」
幸村の意識をどうにか繋いだのは孫市の制止の声だった。そのあとは昌幸を筆頭にわらわらと同席していた家臣団が幸村から慶次を引き離し、漸く二人の間に距離は取れたものの突然のことに幸村は放心し慶次は昌幸に責め寄られ申し訳ないとそんな謝罪の気持ちなど微塵も感じられないように笑っていた。
「前田慶次、それは俺に対する謀反と捕らえてよいのか?ん?」
優しげに、しかし含みを持たせて問うのは昌幸。
「いやぁ、ちょっとやりすぎたかねぇ」
全く悪びれることなく快闊に笑うのは慶次。
「おまっ、ちょっとじゃねぇだろ!幸村を殺す気か!」
そして幸村を避難させる孫市。
騒然とする評議の場で、漸く我に返った幸村に気付いて、慶次は喜び勇んで其の前にしゃがみ込んだ。両脇からの叱責の声はまるで無視である。
「なぁアンタ、俺に惚れちゃあみないかい?」
次の瞬間高速で繰り出された右の拳に、昌幸がさすが俺の源次郎!と叫んだところで、慶次の意識は真っ白になった。
因果応報、身から出た錆。
あの一件から幸村に避けられ続けている慶次の影を背負った哀愁漂う背中に孫市はあきれ返っていた。幸村が意図的に避けていることもあるが、それ以上に昌幸が、そして真田の家臣ら、忍、果ては真田の領民までもが幸村を守るように壁になっていて、慶次は幸村と満足に話をすることも出来ないでいた。
これほどまでとは、と孫市は茶屋の店先で団子を齧った。桜の花びらが美しい季節だ。
あまりにも哀れな慶次に一肌脱いでやろうと孫市は幸村と三人、町に出ようと誘ったものの、幸村はあちらこちらと引っ張りだこで碌に並んで歩くことすらままならない。
「ゆきむらさま、いっしょにあそぼう!」
そういって強引に幸村の手を引いて連れて行ってしまった子供の、あのしてやったりという顔が忘れられない。慶次は大人気なく肩を怒らせていたが、あれが爆発するのも時間の問題だな、とそれはそれで対岸の火事。今日はもう諦めるか、と真田の鉄壁の守りに白旗を揚げたときであった。
先ほど幸村の手を引いていった子供の驚いた声が、他所に意識を移していた孫市に届いた。
見れば子供は尻餅をついていて、隣にあったはずの幸村の姿はなく、変わりに柄の悪い数人の男が立っていた。男たちは何かを取り囲むようじりじりと其の距離を詰めていた。
「ゆきむらさまっ」
泣き出しそうに名を呼ぶ声に孫市は合点がいった。男たちに囲まれているのは真田の若様だと。
「なぁ、アンタ真田の若さまだろ?俺らの士官先を融通しちゃあくれないか?」
「なんならアンタが俺たちのお世話をしてくれてもいいんだぜ」
下世話な意味を含めて男たちが笑う。時勢の刻々と変化する戦国の世、柄の悪い流れ者が領土内に入り込むことなど多々あるものの、幸村はうんざりしていた。ちらりと周囲に目配せすれば主たる忍が数人幸村の一声でいつでも飛び掛かる姿勢をとっている。さて、どうしようかと考えていると、他に思考を飛ばしている幸村に馬鹿にされたと主格の男は幸村の顎を片手で掴んで顔を引き寄せた。幸村よりも体躯のよい男に引き上げあられるように顎を引かれ、幸村は眉を寄せる。いつの間にか回っていた腕で腰も引き寄せられて忍びは殺気立った。このようなところで忍びを使うわけにも行かない、と拳に力を入れた其の瞬間、
「俺の好い人になにやってんだい?」
幸村が声の主を視界に捕らえる前に、ごふ、と鈍い咳を吐いて目の前の男が姿を消した。なにが起こったのか、直ぐに幸村は理解する。慶次が其の拳で男の頭を横殴りにしたのだ。
後はお決まりの流れであった。憤怒した男の仲間が慶次を取り囲むが慶次は慶次で日頃の鬱憤を晴らすように大立ち回り。そのうち集まった人で人だかりができる。あっという間にごろつき共を伸した慶次は幸村を抱き上げると大音声をあげた。
「大事な大事な若様の気を引こうなんざ、お天道様が許しても、この天下御免の歌舞伎者前田慶次が、黙っちゃいねぇぜ!」
覚悟するんだな、と芝居がかった睨みを周囲に効かせれば、やんややんやと場が賑わう。真っ赤になって幸村は慶次の腕を引いて足早に其の場を後にする。一方、すっかり忘れ去られた孫市は、大袈裟に溜息をついて、ひとりゆっくりと岐路に着いたのであった。
「貴方はなにを考えておられるのか!あのような往来で、かようなことを・・・!」
耳朶まで真っ赤に染めて、潤んだ瞳が慶次を睨む。それほど嫌だったのか、と色気をふんだんに含んだ幸村の顔にそそられながらも、一抹の寂しさが過ぎる。
派手な浮名を流したと散々孫市に言われる慶次であったが、この感情は嘘偽りないものだと胸を張って言える。来るもの拒まず、去るもの追わずが慶次の心情であったが、幸村にだけは違った。
それが伝わらないのが、もどかしいのだ。
「あんなにおおっぴらにいわれちゃあ、居心地が悪かったかい?」
自然と滲み浮かんだ後悔に、聡い幸村は気付いたであろう。そうではないが、とばつが悪そうに顔を伏せた。其の表情に慶次はここが潮時だと悟る。これ以上は駄目だと自分に言い聞かせて、揺れる思いを押し殺して、背を向けた。
は、と幸村が息を呑んだのが、背中越しに伝わる。そして、名を呼ばれる。
「慶次殿…っ、」
呼ばれては仕方ないと、慶次は振り返れば、幸村が真っ直ぐに慶次を見つめていた。其れにどうしようもなく心を揺さぶられ、今すぐにでも抱き締めて手折ってしまいたい衝動を抑えた。
恋い慕う相手を呼ぶような声だ。そんな声で呼ぶな、と拒絶することも出来ない。
「私は、居心地が悪かったとか、そういうことではなくて、…」
言い澱む幸村に、ああ彼はこちらが困り果てるほど人のいい奴だった、と思い出す。慶次を傷付かないように優しく優しく彼を拒絶する方法を知らず知らずのうちに模索しているのだろう、とそんな気遣いをさせてしまうことすら恨めしく思った。
「よ、好い人…など、とおっしゃられるから…」
慶次は幸村の前に立ち、その手を取った。
「俺はアンタに惚れてんだ。この想いは本気だが、…アンタにとっちゃあ、迷惑なものだったみたいだな」
これで終わりだと言う意味も籠めて、幸村の手をそっと引いて口付けた。
「いいえ、いいえ、め、迷惑だなどとは、…」
消え入りそうな小さな声。
なんだ、と慶次は注意深く耳を傾ける。
「迷惑だなどとは、おもったことはありません。…ただ、私は、こういったことは、よくわからなくて・・・」
ふるりと幸村の男にしては長く整った睫がふるりと震える。
「貴方の想いに、応えたくとも、わからなくて。貴方に嫌われたら、どうしようかと…そればかり、」
その言葉に、慶次の表情が瞬く間に輝いた。
ぱちりと幸村は目を瞠る。
「ああ、良かった!良かった!それを聞いただけでも、望みはあるってもんだ!」
からからと慶次は笑う。笑いながら慶次は幸村の後頭部に手を添えて額にもう一度、けれども全く意味合いの異なる口付けを落とした。可愛らしい音を立てて離れていった慶次が幸村の肩を組んだとき、やっと我に返った幸村が額を押さえて慌てる。
「慶次殿っ!」
そう怒気を含ませる声すらますます愛おしい。
「まぁ、まぁ。ほら、可愛い顔が台無しだ」
羞恥に顔を染める幸村を抱き寄せて、慶次は空を仰ぐ。真っ赤な夕日が二人を照らしていた。
上機嫌に鼻歌まで歌い始める慶次の隣、ぐったり幸村はされるがまま歩いていた。
そしてふ、と隣で夕陽にきらきら光る金獅子のような男の顔を窺い見た。
(それに、貴方が私を助けてくださったときの姿は、とても、)
そんなことはまだまだきっといえないだろうけれど、
いつかこの想いが恋になれば良い、そうおもうのだ。
「慶幸 からまれている幸村を助ける男前な慶次」でした。い、如何だったでしょうか…。
いまいち慶次が男前になりきれていないような…残念クオリティ申し訳ありません!!
こんなにお待たせしてしまった挙句で、なんといったらいいか…少しでもお気に召してくだされば幸いです。
リクエストありがとうございました!