※転生モノ(「幸村」表記)
からからと高下駄が涼やかな音を立てる。
基次は前を歩く鮮やかな浴衣姿の人物を見ていた。高下駄の音は彼が織り成すものだ。
男でありながら女物の浴衣を身に付け軽い足取りで縁日の大通りを真っ直ぐ歩いていくのは、基次が世話になっている然る華族の次男坊だ。次男といっても父親と彼に血のつながりは無い。戦争で帰る場所を無くし、当てもなく街並みをうろついていた折に華族の男に拾われたというだけの話だ。
彼を拾った其の男は大層趣味が悪いのだろう、と世話になっているということも構わずに、基次は心の中で呟いた。
男の手元に置かれた彼が、ただの養子であるはずがなかった。
整った顔立ちは清廉な目鼻立ちにも拘らず、時折匂い立つ様な色香を滲ませる。廓の女にも引けを取らぬであろう妖艶な笑みを浮かべ、男を誘う。男が好き好んで華美な着物や洋服を彼に着せたがるのも、そんな理由からだろう。
基次は書生として知人の伝を頼って男に世話になった。其の頃には既に彼は屋敷に住んでおり、引き合わされたときから彼は基次に良く懐いた。誘うでもなく、ただ純粋に、彼は基次を気に入っているようだった。
「基次殿、そんなに離れては置いていってしまいますよ」
彼は止めて振り返る。
名前を呼ばれて思考を引き戻された基次は既に背を向け歩き始めている彼の背中を見つめた。
男としては些か頼りない骨格だと思う。書生としては些か異なことであるが、体を動かすことが時には書物を読むことより好きな基次はごつごつとした己の掌に目をやった。竹刀を持つ手は硬い。それとは対照的にすらりと長く白い指先は、女そのものだ。今も綺麗に手入れされた指先がくるりくるりと銭の入った巾着を廻している。
其のようなことを考えていると、彼の背中はどんどん遠くなる。
人ごみに慣れた彼の足取りと、無理矢理部屋から引っ張り出されお目付け役に連れてこられた基次とでは足取りも歩く早さも異なる。
離れていく後姿。一瞬、ゆらりと彼の背中がぶれた。
どうしたことか、と基次は目を擦った。立ち眩みとはまた違う奇妙な感覚であった。
もう一度彼に視線を移せば、再び残像のようにもう一つの背中が重なって浮かんだ。
風景を透過するのその影に、基次は息を呑んだ。直感でそれが何かを理解したのだ。
鮮やかな猩猩緋の陣羽織。
基次はそれを見たことも聞いたこともなかった。
しかし基次には何故かはっきりとわかった。そして其の影はゆっくりと基次のほうを振り返る。
向けられたのは傷だらけの顔であった。
額から血を流し、頬は擦り切れ、何日も寝ていないのか目の下には深く隈が出来上がっている。きちんと結わいでいたであろう長い髪は様々に解れ、良く見れば猩猩緋のそれには黒ずんだ汚れが付着している。
けれども彼は幸せそうに笑った。隣に立つ浴衣姿の彼と同じ顔で基次に満面の笑みを見せたのだ。
「幸村っ!」
基次は声を張り上げた。霞のように消えていってしまう姿をかき消すように、紺の浴衣が体を向けた。
彼は、緩慢に目を細めて微笑んだ。
「みつかっちゃいました」
死臭に満ち満ちた戦場で、基次は幸村と誓った。
散り散りに死んでいくと知りながら、幸村から基次に科された一方的な約束。
死ならば諸共に、
基次の小指を絡めとりながら、共に、と誓いを交わす幸村は満足そうであった。
「あー、…悪い」
「本当に、酷いお人」
基次の目の前まで歩み寄ってきた幸村は罰の悪そうに謝る基次に、ぷう、と膨れて見せた。
大坂の戦から何百年と時は経っていた。
「何度目だとお思いで?」
「だから悪いって」
いってるだろう、と二度目の謝罪の言葉は幸村からの軽い口付けで押さえ込まれた。
突然のことに目を瞠る基次の手を握り締め、幸村はうっとりと目を輝かせる。
「ふふ、ああ、これで一緒に死んでゆけるのですね」
「嫉妬に狂ったアンタの男に追い回されて相対死なんざ、ごめんだぞ」
「ふうん、それもいいかもしれませんね」
からからと幸村は腹を抱えて笑う。
懐かしい風景だ。じんわりと腹の底から滲んでくる暖かさに、笑みを浮かべた。
配布元:サンライズ
ツイッターでいろいろお話させていただいている方から「振り回す真田と振り回されるまたべ」でした。
全くな仕上がりですが、最後辺りからそれとなく感じ取っていただければと。振り回されるまたべはいつものことですが。