横たえた主の亡骸を挟んで、年の若い二人の忍びは流流と涙を落した。
年若いというより少年少女の域を未だ出ない二人は、幸村の側近の忍び衆であった。
十ばかりいる忍びの、二人を除いた他は皆、主と共に死んでいった。ある者は幸村の姿を模して敵陣へと切りかかり、またある者は主を摸する同朋の楯となって戦場の露と消えて行った。
けれども悲しいことに、取り残された二人はいずれも、主の口より死ぬことを命ぜられなかった。
なにゆえか、と問い詰めても、主は、幸村は曖昧な笑みを浮かべたまま、深くは答えなかった。
生きて欲しい、と。
息子にすら躊躇なく討ち死にしろと言い語った同じ口と顔で、惨酷なことをさらりと宣う主であった。その優しさにくるまれた惨酷さを、よく知りよく理解していても、彼らに幸村のそばを離れるという選択肢はなかった。離れれば生きて行く術が無いわけでもない、ただ、あるじの傍を離れることを恐れ、退けられ無用と捨てられることが怖かった。
幸村の首だけは敵に渡してなるまいと一筋の血にも濡れていないまっさらな短刀を懐から取り出して、ふたりは互いに目配せをした。そっと、少年の握った刃が幸村の首筋へと添えられる。ただ穏やかな眠りに落ちているだけのように見える幸村はどんな存在よりも美しいと二人はもう一度雫を落とした。ひと思いに、と意を決して力を込めて最後の別れを迎えようとしたその時である。
「ああ、ここにあったのか」
突如現れた禍々しい雰囲気と、底冷えする声に二人は顔を上げた。忍びとして身に付いた殺気に対する反射的な反応であった。幸村の首を切るための短刀を懐に隠し、血脂に濡れて光る刃を二人は取り出し、物言わぬ幸村の体を庇うように立ち塞がった。
少女は突然現れた人物を視認すると、唖然とした。どうして、ここに。その時は戦火に焼けた喉を呻らすだけだったが。
白を基調にした陣羽織は煤け、血に赤く黒く染まっていた。彼が手にした三つの首に、息をのむ。三つの同じ顔。よくよく見れば違いが判るが、遠目ではその違いに気づくことはできないだろう。短く切った黒髪に眉の間を走る額の傷が特徴的だ。
男は髪を鷲掴んでいた三つの首を無造作に放り投げるとじっと、二人の背後に横たわる亡骸を見つめた。幸村に注がれる欲に駆られた熱っぽい眼差しに少女も少年も身震いし、嫌悪した。そのように見られることは堪らない、と意識をそらすために痛む喉をこらえ、少女が声を張った。
アンタ、なんでここにいるのよ
直江、兼続。と少年が唇で男の名を呼んだ。少年を一瞥したと思えば、くすり、ともにまり、とも判別の付けがたい笑みがゆっくりと少女に注がれる。視界に囚われ、背筋を走るのは恐怖だ。
けれど少女は耐えた。
返して貰いに来たのだよ、
それは私のだ、とゆっくりと男が指をさすのは幸村だ。
さも当たり前のことだと臆面もなく言い語る男に、二人はめまいを覚えた。狂っている。
あんたのなんかじゃ、ない
震える声で答えたのは少女であった。ぽたり、と額に滲んだ汗が落ちる。
この御方は時代と共に生きて死ぬのだ。決して誰かのものになることなく、己の信念ために生きて死んでいく。
その生きざまは人を魅了し、やまない。故に恐ろしい方なのだ。
幸村さまはだれのものにだってならない。あんたがしぬほどのぞんでも、幸村さまは髪の一束だってあんたのものにはならないのよ
引きつった無理やりな嘲笑を向けてやる。それは事実だと。
少女と少年が幸村の首を奥深く埋める。密かに他の忍びに命じられていたこと。幸村はそうしろとは命じなかったけれども、幸村を唯一と仰ぐ忍び衆にとっては主を他者のものになどさせたくなかった。
すうと細められた兼続の瞳。恐怖に押しつぶされそうになるのをなんとか耐える。
ばかなことを、
付きつけられる刀に、二人は息を呑んだ。
配布元:不在証明