氷城でのプロポーズ

(ああ、なんということを!)


去っていく後ろ姿を眺めて、幸村は叫び出しそうになるのを必死に堪えた。
幸村が入城して、すぐさま挨拶に訪れたのは清正であった。大坂の一室に間借りしている幸村のところに軍議の折でもないというのに合間を縫っては態々やってきたのだった。
其の時は二言三言言葉を交わし、直ぐに清正は淀の方に呼ばれて出て行ってしまったのものの、それからは何かにつけ、清正は幸村に構うようになった。けれどそれは直接的なものではなく、遠まわしに使いの者を通しての、時には新しい羽織の贈り物であったり、太刀であったりした。
幾度と続くそれが幸村にとっては居心地が悪く、出丸の構築や隊の訓練やらと理由をつけて城を抜け出しては一人出丸に入り浸ることが多くなった。
既に置いてあった材木を、これは幸いと使ったところ、元黒田家家臣後藤又兵衛基次とちょっとした諍いになったが(これは当の本人同士ではなく彼らの部下たちが言い合ったに過ぎないのだが)このときにも清正は出丸に赴き両者を説得した。基次はもともと大坂城の弱点ともなるべき場所を補填したかっただけであったし、幸村も同様におもっていただけであった。ただ、幸村にとってこの場所が逃げ場になっていたというだけであった。聡い基次にはばれていたのかもしれない。けれど基次は何も言わず出丸を幸村に譲った。
それからますます幸村は大坂城に顔を出さなくなった。身一つで出丸に籠もり、軍議にも何かと理由をつけては顔を出さなくなった。
それを淀の方と大野修理が立腹し、もとより徳川との内通を疑われていた幸村の立場はますます危うくなった。幸村の下を清正が直接訪れたのは其のときが二度目であった。
急ごしらえで作られた簡素な陣内で、幸村は槍を振るっていた。
何故軍議に出ないのかと清正が単刀直入に問い詰めれば、幸村は申し訳なさそうに笑った。

己は槍を振るうしか能のない武士、それが軍議にしゃしゃり出て、いったいなにになるのでしょうや、

卑屈な応えに清正は眉を寄せる。
軍議は淀の方によって最早形骸化していた。秀吉がまだ一介の武将であったころから秀吉に学び豊臣を守ってきた清正と正則に対してすら、淀の方は厳しかった。一度は同じ子飼いの三成らと敵対し豊臣を裏切る身となってしまった二人を、淀の方は許さなかったのだ。徹底抗戦を叫び、野戦に打って出るという武功派の、戦を最もよく知る彼らの主張を一蹴する。淀の方は大坂において絶対であった。
それでもと、清正は顔を顰めたまま目を伏せる。
彼には、かの徳川嫌いとして二度も彼ら親子を僅かな人数で退けたと名高く有名な父昌幸からそしてそれよりは遠く信玄公が重く用いたという祖父幸隆の軍略家としての血も脈々と受け継いでいる。一度基次と口を揃えて主張した宇治・瀬田への出陣は清正も頷く事が多かった。
頑なな幸村を前に口を閉ざす清正に、幸村は一度だけならば、と笑みを作って見せた。
もう一度だけならば、私も共に参りましょう、すると其の一言だけで清正の顔には見る見る力が戻る。

お前と後藤、そして長曾我部達がいれば淀の方も首を縦に振るだろう、

晴れやかに微笑む表情には暗い影がべっとりと張り付いている。
それを見止めた瞬間、幸村は足元か崩れ落ちていく感覚を受けた。
東奔西走しどうにか豊臣を守りたい一身で、身を尽くす彼に、自分は何を。
頼んだぞ、と念を押して城へと戻る真っ直ぐな足取り。
幸村が変えてくれる、それを疑わない、愚直なまでの姿。
死に往くものに、救いを求めるなんて。


ぎゅうと締め付けられる胸を押さえて、幸村はただ、清正を見送るだけであった。








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