関ヶ原は豊臣の勝利で幕を閉じた。
道を違え三成と袂を別つた清正、正則も戻り、日の本は再び、豊臣の下で泰平に向かう。
この戦の勝利において因るところの多かった真田の次男は今、大坂城にその身を寄せていた。上田に詰め寄せた秀忠の大軍により壊滅的な打撃を受けた城下の復旧や長男信之の処遇等の戦後処理のため日夜寝食もままならず働く父親に代わり、幸村が登城したということである。本来ならば目を瞠るほどの戦功を立てた昌幸が来るべきであったのだが、諸将への挨拶ぐらいならばお前が行け、と父昌幸にせっつかれ然したる政治腕力も無いと己を評価する幸村は昌幸に命じられるまま大坂に上ったのであった。
安寧の世を迎え、人々の表情は華やいでいた。
大坂に集められた諸大名、武将らも例外ではなかった。一度は豊臣に刃を向けたものであっても秀頼からの「全ては豊臣の為にしたことである」という寛大な恩赦により領土を減らされるなどはあったものの、秀吉の生存していた頃とさほど変わらぬ様相を呈していた。正則は家康をも許すその秀頼の姿に号泣し、清正も目を伏せ己の浅慮を恥じるとともにさもすれば秀吉以上に人を惹きつける魅力を持つ秀頼に、ただただ平伏するだけであった。
再び活気付きはじめた大坂で、幸村は三成に呼び止められた。左近の傷も漸く癒え、彼の周りも平生を取り戻してきた頃合いであった。幸村は秀頼に信之の沼田への帰順を許す旨を直々に伝えられ、それと同時に徳川を真田の監視下に置くようにとを内々に命じられたのである。一度は寛大に許したものの暫くの間は水面下で徳川方で参戦した将らの動向を把握しておこうとする秀頼の手腕に、命じられた豊臣方の大名は舌を巻いた。当然、秀頼を最も擁護して指揮を取っていた三成とは其のことを事前に話し合っており、相談を持ちかけられたとき三成は秀頼の成長を喜ばしく思ったものであった。
秀頼様はご立派に成られた。
表情を和らげて一人語散る三成に、幸村はそうですね、と微笑んだ。眩しいものを見るときのように細められた目尻は幸村が喜びを顕にしているときの表情だ。素直に同意し喜んでくれる幸村の隣で、三成はひっそりと破顔する。
関ヶ原の戦いを乗り切り、三成にとっては喜ばしいことばかりであった。兄弟の如く育った清正と正則が豊臣に戻り、日の本を分断するほどの大きな戦であったにもかかわらず、彼の信頼するものたちは誰一人も欠ける事はなかった。必然、饒舌に成る。
清正も正則も、これからはともに豊臣を守ると誓ってくれた。
幸村は心の底から幸せだと平生は鉄面皮といわれる整った顔(かんばせ)に笑みを乗せ、語る三成を見ていて嬉しかった。
お前のおかげだ、と幸村の瞳を射抜き高揚しながら言葉を紡ぐ三成に笑みを深くした。
いいえ、いいえ。これらは全て三成殿が諦めなかったことが大きいのです。
貴方さまも、清正さまも正則さまも、もとは同じ願いの為に別つてしまった道なれば、一度(ひとたび)もとにもどれば、再び別つことなどないでしょう。
其の言葉は三成を心に染みいった。
彼の真摯な性質をそのまま表す、まっすぐな、嘘偽りない言葉であった。
・・・幸村、お前は俺を喜ばせるのが得意なようだな。
なにをおっしゃるのですか。まことのことです。
三成は曇りひとつ無い幸村の眼差しに、頬を赤く染めた。
いまならば、と三成は意を決し、幸村と視線を交える。
幸村、俺とともにここで、秀頼様をささえていってはくれないか。
ともに生きよう、三成はこれ以上無い笑みを浮かべ幸村に告げた。
それは三成にとっての幸村への最大の親愛の告白であった。幸村が傍にいるというだけで、自分はこれほどにまで強くなれるのだ、と三成は関ヶ原の折に身に染みて感じた。それは愛というには透き通るほど美しく、友情というにはあらゆる感情を重ね持っていた。恋慕、名付けるならば其れに近しい感情であった。
けれども、三成は其の言葉の意味を理解した其の一瞬に、幸村が見せた表情に、足元が崩れ落ちていく感覚を味わった。
幸村は、困惑した表情を浮かべていたのだ。今まで浮かべていた柔らかな微笑は其の姿を消し、三成を恐れているようでもあった。
おそろしい、其の瞳は如実に三成に伝えている。三成は愕然とした。
三成と幸村の間にあったのはまさしく友情であった
三成はこの友情は戦が終わり、泰平の世になっても続くと思っていたし、思っていたからこそ、幸村に告げた。
けれど幸村は違っていた。幸村は己は一人の人間である前に一つのもののふであるということを根幹にもっていた彼は、三成と自分の友情は、戦乱の世であるが故に存在するものであると信じて疑わなかった。槍を持てぬ時勢において、自分の存在は酷くあやふやだ。形の無いものと意志のあるものは結びつけることは出来ない。必然、幸村は怖ろしくなった。
真っ直ぐな三成が、彼が齎した新しい泰平の世が。
もののふは不要の用物に成下がり、誇りも意思も何もかも失いぬるま湯の中で生きていく、そんな時代が怖かった。
そして、其の時代の凝った温水に、自分を離さぬといった三成が。
得体の知れぬ化け物を目の前にしたように、幸村は三成の前から動くことが出来なかった。それは、酷く酷く三成を傷つけた。
配布元:サンライズ