Don't worry be happy.
「リリスちゃんはさぁ、何で今の旦那さんと結婚したの?」
今日も今日とて《極楽満月》に赴いて甘い香りの匂い立つお茶とお茶菓子を挟んで行われる歓談の切れ間に、白澤がリリスに単純でいてしかし難解な問いをかけた。
けれど考える暇も無くリリスはふふと甘やかに口端を吊り上げ、真っ直ぐに白澤を見つめる。
「貴方こそどうして彼と結婚したの?」
リリスの示唆する彼とは今当に彼らから一定の距離を置いて漢方薬作りに勤しんでいる日本一有名な英雄桃太郎である。話の矛先がいきなり自分に向かってきたことに、桃太郎は振り返ることすら出来ず、言わざる聞かざるを通すことに決めた。下手に絡んでいっていらぬ傷を作ることはないし、そもそもリリスの疑問は桃太郎にとっても常々頭に据え置かれていたことであったからだ。思っていても口に出して真っ向から問うことが躊躇われるほど、天界唯一の神獣白澤と元チンピラ現弟子桃太郎の立場は低い。それはもう、天と地獄ほどには。
なんとか聞こえていない振りを振舞おうと精神を手元の薬草に集中させればさせるほど反対に意識は二人の会話へと向いていく。それを知ってか知らずか。白澤はううん、と呻って天を仰いだ。
「だって、御飯は美味しいし、洗濯も掃除も全部してくれるし、庭の手入れもしてくれて、危ない場所の薬草は瀕死になりながらも採りにいってくれるし・・・なにより僕のいうことは何でも聞いてくれるからだよ?」
疑問符付きの回答に、がくり、と桃太郎は溜息とともに肩を落とし項垂れた。
立派な主夫宣告にこっそりと顔を覆ってさめざめと泣く桃太郎とは反対に、白澤はにこにこ笑っている。うんうん、と自身の回答に得心し、それが理由だ、間違いないと、胸を張って。
「ふうん、でも意外ね。貴方の付き合う男っていっつも顔だけはいい男だったじゃない」
つい先日晴れて結ばれた二人である。白澤の身持ちの軽さはリリスよりもわずかばかり身近で知っている桃太郎にとっては痛いところを突かれたと立ち直れないほどに沈んでいる。それを白澤は横目で見て、小さく笑う。
「そんな貴方が、ねぇ・・・」
頬に手をあててまじまじと二人を見比べるリリス。
嘆息する吐息は甘いが驚嘆の意を滲ませた深い息である。首を傾げるリリスにますます桃太郎は居たたまれない。
電撃結婚!と銘ふられた週刊「三途之川」には来週同じようにでかでかと電撃離婚と掲載されることだろう。徐々に暗く小さくなっていく桃太郎。
「ふふ、そうだねぇ、」
でも、と白澤はすうと瞳の色を和らげる。いままで悪戯に輝いていた瞳は湖畔のように凪いでいる。神獣という名を掲げる白澤から溢れ出た慈愛の色にリリスはぱちりと目を丸くした。天の存在であるとリリスは改めて気付かされる。そしてこれが彼女の真の姿なのかもしれないと。
「桃タロー君、」
部屋の隅で小さく体育座りになっている桃太郎に僅かに声を張り上げて白澤は彼の名を呼んだ。くるりと緩慢に振りかえった顔は涙で歪んでいる。鼻を赤くして白澤さまぁ・・・と泣いている姿は頼りなく、はっきりといってしまえば情けない。
ちょいちょい、と白澤はそんな凄惨な状態になってしまっている桃太郎を手招きした。のそのそと足取り重く白澤の許までやってきた桃太郎の肩を抱き寄せると、白澤はその涙に濡れた頬に小さく唇を触れさせた。
吸い付くようなしっとりとした一瞬の感触に、桃太郎は何が起こったのかわからない。
「でも、僕にはこのくらいが十分なんだよ」
あげないからね、と悪戯っぽく笑ってみせる白澤に、リリスは溜息をついて見せた。そして二三手を振って、いらないわと、そう物語る仕草を残して席を立つ彼女を見送って《極楽満月》はまたいつもの静けさに戻った。
「あ、あの、あの、白澤様・・・」
漸く石化から自我を取り戻した桃太郎は真っ赤になってもごもごと口を開閉している。
ふふ、と笑みを浮かべて白澤は左右の手で桃太郎の両手をとる。
「だからね、君は僕の傍にいなきゃ駄目なんだから」
桃太郎が、上司兼新妻から与えられたその甘い厳命に承諾の意を示す前に、寄せられた唇が桃太郎の声を奪う。そっと閉じられた白澤の長い睫が桃太郎の視界を占領した時には桃太郎も身を乗り出して彼女の舌をそっと絡めとった。
その後、いつまでたっても指先一つ出さない桃太郎に焦れて白澤が意気地なし!と頬を抓る風景は従業員の兎たちにとっては案外いつものことであったりする。