いとけなきせんぼう

あとは潔く死んでいくだけです。



頬を赤く腫らした幸村に、宗茂は苦笑を浮かべた。
大凡の人が思っていても言わなかった事を、彼は抜け抜けと一番言ってはならぬ人に告げたのだ。
今大坂にいる誰もよりも豊臣を守ることに必死になっている男、加藤清正に。豊臣を守るためには徳川に頭を垂れることも厭わず、ただただ秀頼様の御為に、豊臣の為に、と槍を振るう愚直な男に。真田幸村はまるで明日の空を予想するかのごとく、豊臣の、如いては大坂の行く末を告げたのであった。

あとは死んでいくだけなのだと、
誇りも矜持も、すべてはこのときのためにと淡々と述べる幸村の頬に、清正の拳が飛んでくるのも無理の無い話だと、清正の心情など推し図るに容易い。
明日には青痣になってしまうだろう頬は膨れ、見ているだけで痛々しい。
けれども幸村は何のことないという風情で、前を向いている。彼の視線の先には何処までも広がる平野があった。
それは宗茂が九州で見ていた四季折々を色為すまっさらな野とは真逆の、死臭漂う真の戦場であった。
幸村の言ったことは間違ったことではないと、宗茂はこれまでの豊臣の趨勢をも無碍にしてしまう大坂の「母殿」を思い出す。困った人だと思ったことはあったが、今となってはどうでも良いことであった。もとより宗茂には関係ないことである。
幸村は戦に長けた牢人衆の思いを総ざらいして言葉にしたに過ぎない。しかしそれは言ってはいけないことだった。
幸村だけは、それを清正に言ってはいけなかったのだ。
清正は盲目的に幸村を信じている。幸村こそが豊臣に勝利を齎す戦神だというように。
絶大な信頼を寄せる幸村に言われてしまえば、清正は豊臣の滅亡という現実から目を逸らすことができなくなってしまう。それは清正が大坂にいる意義を失わせ、彼が嘗て関ヶ原の折に徳川についたことすら無意味なものにしてしまうからだ。幸村の否定は清正の否定に繋がる。

幸村、

宗茂は大坂城を背に佇む幸村の腕を後ろから引いて、顔を寄せた。
驚きのためか、僅かに開いた口に己の唇を押し当てる。動きを止めた其の隙に、頭に手を添えて、深く、けれど短い口付けを施す。幸村の表情は変わらず、瞳は暗く澱んだ色をしていた。

お前は死んでやるな。

静かに微笑んで、宗茂は腫れた頬を優しく撫でると、それ以上は何もいわずに颯爽と姿を消した。
残された幸村は何事もなかったかのように、もう一度前を向いて沈む夕日を見眺め続けたのであった。







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