千年の愛


※ひゃく/まん/かい/生きた/ねこ Wぱろ


人の生き死にが間近にある時代でした。
誰も其れに疑問を抱きませんでしたし、異を唱えたところでどうにかなるものでもありませんでした。失われるいのちを、そうなることが定めであったのだと諦め、受け入れる時代であったのです。
いうなれば、時代が人をそうであるべきと作った、そんな悲しい時代だったのです。

一人の男がいました。
名を福島正則と言う血気盛んな若者は、その身を九拾七度戦場に立たせました。
時には敵の御首をいくつも掲げて帰陣しましたし、あるときには劣勢のなか体中に多くの傷を受けて、それでもあっけらかんと笑って帰ってくるような男でした。
後に天下は彼の敬愛する叔父に治められ、泰平と銘打たれ、戦は消えました。
多くの人々は喜び、舞い、平穏に生きる喜びを噛み締めました。其の一方で己の行く先と生き死にに迷いを覚え悲観する人間も確かにおりました。

天下人の気紛れに催された桜見で、正則は一人の青年に出会います。
末席でひっそりと手酌で酒を煽る青年は、いつぞや天下人の隣に座しているのを、正則は 覚えていたのです。
なんとはなしに酒瓶を握って、正則は彼の隣にどっかと腰を下ろしました。
青年は正則を一瞥したのみで、また、酒をちびりと煽ります。

着物の袖をまくって、正則は豪語しました。
この傷は賤ヶ岳の戦いでついたものだ、と。
青年は其の傷に視線を向けて、そうですか、と喧騒に消え入りそうなほど小さな、けれどはっきりとした声色で答えます。

正則は次に肩を肌蹴、脇の近くを指差します。これは、天目山での戦いだ、と意気揚々と語ります。池野何某というそれはそれは怪力自慢の男と打ち合ってついた傷だと息をまく正則に、先ほどと同じようにそうですか、と答えただけで、またも青年の視線は正則から逸らされてしまいます。

今度は正則は脛を見せて皮膚の引き連れた傷跡を指差して、これは小田原での戦いで突いた傷だと声荒く詰め寄りました。青年はまたも、そうですか、と清廉な声で答えます。
其のころになって、正則は暫し語るのを止めて、居住まいを正しました。


「なあ、ここにいていいか」
「貴方が望むなら」


正則は、空を見上げます。
桜の花びらが晴天を舞っていました。
とても美しい空の色でした。穏やかな空気と賑やかな笑い声。花びらの中で一人空気を異にする彼に、正則は心を奪われます。静かに、それでいて物悲しい空気を纏う人でした。
悲しむことは無いだろうに、それでも何故か目を話せない危うさに、正則は珍しく口を閉ざし、ゆっくりと杯を重ねるのでした。

時の流れは時に酷く残酷なものです。
泰平の礎を築いた天下人が逝去したのです。礎は脆く、砂上の楼でした。
多くの人間が、己の描く新しい世の為に、躍起になりました。そして、再び戦が始まりました。国を一つの戦場に争われたその戦いの中心に、彼はおりませんでした。
正則は、ひっそりと安堵の息をつきます。理由は、明白でした。
彼は正則とは志を意にする相手に組しているのですから。刃を交えたいとは思いません。
敵方の総指揮を採る男は正則の兄弟分でした。血の繋がらない正則と、其の男と、もう一人正則と同じく道を進めた男。彼らを天下人と其の細君は己の真の子のように育てました。血の繋がりより深いものを断ち切る痛みから、正則は目を塞ぎ耳を塞ぎ、意識の外へと放りました。其の葛藤の傍らで、彼も何かしら決めたことがあったのでしょう。袂は二つに別たれました。

呆気なく終焉を迎えた日の本を二分する戦で、正則は勝鬨をあげました。けれどそれは同時に、彼の敗北をも意味するのです。戦後、運よく助命嘆願を受け入れられた彼は九度山にいると正則は聞きました。

そして、十三回、四季が巡りました。
正則は息を呑みました。最後に見た彼と寸分変わらない姿が、そこにあったからです。
いいえ、変わらなかったものは姿形だけで、空色を透過させるほど澄んだ瞳は酷く凝り、鈍い光を放っていました。正則は言葉を失いました。憎悪も悲哀も飲み込んでしまった凛と立つ背に、正則は何もいえなかったのです。

最後の戦は悲しいものでした。
人が、次々に死んでゆきました。
圧倒的な兵力差に、それでも足掻き続け、散っていくさまは在りし日の桜の舞い落ちるように儚いものでした。
焦土と化した戦場で、正則は炎に捲かれ、瓦解していく大坂の城を見上げていました。
腕の中には既に冷たくなった彼の、ぼろぼろになった体だけが取り残されました。
正則は泣きました。
何回、何十回と涙を流し、声を張り上げ、何日もそうしていました。
太陽が九拾九回のぼり、九拾九回沈みました。
そして、漸く、正則の流れる涙は止みました。
彼と同じく、その身を冷たく凍らせ、二度と覚める事の無い眠りについたのです。




正則は生涯その身を壱百度、戦場に立たせました。
もう、正則は戦場に立つことはありません。





当初、関ヶ原を98回目、大坂を99回目にして、あと一回戦いたかったのになぁ!という妄想だったのですが、書いているうちにこうなりました。はて?
そんなにないだろ、という突っ込みは重々承知の上でのアップ。









配布元:サンライズ