賑やかな宴席にて、幸村と趙雲は肩を並べて、静かに互いに杯を満たしながら、酒を酌み交わしていた。時折密やかに囁かれる会話は、他者から見れば、仲睦まじい恋人たちの睦言のようでもあった。しかし、この大所帯で、それを指差す無粋なものはもとより、皆、明々思い思いに気の合う朋友と競うように、奪い合うように酒を飲んでいる。
騒がしいほどの宵闇だ。
そのなかにおいて、二人、まるで周りから切り取られたかのような静かな空間で、幸村と趙雲はひっそりと、けれど着々と杯を重ねていた。
趙雲の頬は些か紅潮し、平生の彼では考えられないくらい、彼が酒に酔っていることが窺えた。その隣にいる幸村も静かに飲んでいるには多分に楽しげで、くすくすと声を潜めあっては視線を交わし、笑うのだった。
その、他とは一本各線を引いた彼らの前に、乱暴に腰を下ろした大男がいた。酒瓶を抱え、全く意味の為していない杯を片手に赤ら顔で、二人の名を大声で呼ぶ。突然の来訪者に二人は目を一度瞬かせ、そののち直ぐに一人は微笑で答え、もう一方は今以上に頬を赤く染めて、男の名を呼びかえした。
「張飛殿」
一献、とばかりに差し出された小振りの燗に、口髭をふんだんに蓄えた張飛は喜んで杯を受けた。太い指を大きな掌、色黒い手に覆われるように鎮座する朱塗りの杯は目に鮮やかだ。とく、とく、と軽やかな音を立てて溢れるほど注がれたそれを一息に飲み干すと、酒の匂いを十二分に含ませた息を吐いて、張飛は頗る機嫌良く、青年の隣に腰をおろし、その肩を抱きよせた。
「お前さん、よくよくみると全く以って趙雲に似てやがる」
ぎゅうぎゅうと押しつぶされ更には酒臭い息を間近で浴びせられても幸村は穏やかな笑みを浮かべたままだ。蜀の宴会で我先にと逃げ出す若輩や負けじと向っていく錦馬超を思いだして、かわりに趙雲が苦笑した。
張飛が二人の近寄りがたい雰囲気に押し入ったのをかわきりに、すぐに、二人は人に囲まれることとなった。そのなかには、宴会が始まってから、いつ酒を注ぎに行ったらよいものかと様子を窺っていた年若い蜀の姜維や、可愛い可愛い弟分を知らぬ国の若い男に持っていかれたやっかみ半分で口を噛んでいた佐和山の石田三成がいた。
「本当に、幸村殿と趙雲殿はよく似ております!」
敬愛する丞相にしこたま酒を注がれ、足取りの覚束無い姜維が二人をまじまじと見較べて、高揚と言い放つ。
そうだろうかと嫌な気のしない、むしろ喜ばしいと感じている趙雲は幸村の方を盗み見る。同じ気持ちであってくれれば嬉しい、などど青臭い期待をもっていたものの、それは、幸村の、困ったような、悲しいような、作り笑いによって一転する。
その微細な変化を、周りは誰も気づかない。酔っているせいだけではなかった。たとえ、素面であっても、どれほど敏い人間であっても、ほんの数瞬の幸村の変化には気づかなかっただろう。もしかすれば、趙雲がその微細に気づけたもの偶然だったかもしれない。
趙雲は似ていると称されたことに対し、幸村が悲しい表情をしたことよりも、どうして彼がそのような表情にならざるを得なかったかの方が、気に掛かった。
幸村は、嘘をつくのが巧い人間だと、趙雲はおもう。それは彼らが「似ている」という二人の性質や、考え方の、その外にある自分と彼との類似点だと思っていた。幸村も、意図して嘘をつく人間だ。それは年上の趙雲でさえ舌を巻くほど巧妙で、卓越した、けれど誰かを犠牲にするような、嘘ではない。趙雲自身は努めてそうあるようにしているが、幸村は違う。幸村は呼吸をするように嘘をつく。趙雲は、酒を味わうふりをして、幸村を横目で観察した。
姜維の言に、似てなどおりません、と幸村は手を振った。
「趙雲殿は、それは巧みな槍さばきをなさるかたです。私も常々、そうありたいと思うのですが、」
それがなかなか、と苦笑を零す。流れるように幸村に意図的に擦りかえられた話題に、それは謙遜だと周囲が口々につげる。幸村とて日ノ本一の兵と称されるもののふではないか、と兼続が高らかに宣言し、宴席は俄かに盛り上がる。
まただ、
趙雲は、酒を飲み込んだ。兼続が幸村を誇ったその一瞬、幸村はまたもその表情に陰りを見せた。長い睫毛がそっと伏せられ、漆黒の瞳を覆う。しかし、それはまた、微笑にとって代わられ、気付く者はいない。もしかしたら、と趙雲は顎を引く。
これまでも何度か、彼は同じような表情をしていたのではないか、と。
もしそうであれば、それは酷く悲しいことだとも。
途切れることはないと思われた宴席であったが、以外にもあっけなく終わりを告げた。
酒に暴れ始めた張飛を娘が止めて、ふつりと賑やかさが消えたことろで、そろそろお開きと相成った。
趙雲は幸村と並んで、宴会場を後にした。数少ない寝所のため、趙雲と幸村は共に寝起きをしている。やけに互いに無言のままに、二人は寝所に腰を下ろした。趙雲は、朝の支度を整えて、横になろうとした幸村の名を呼んだ。
「幸村殿、」
「・・・私は、趙雲殿のようにはあれません」
先を打って話しだしたのは、幸村の方であった。趙雲が言いたいことを先回りし、その表情は、酷く、悲しげだ。
私は、人々の幸福のためには、戦えない。
はっきりと、そう語る幸村は、両掌で顔を覆った。
私はもののふなのです。戦場で生きることを喜びとし、人を切ることを糧として生きる、まことの鬼なのです。
震える声に、趙雲はそっと、肩に腕をまわし身体をそっと引き寄せる。趙雲の腕の中で、幸村の体も確かに震えていた。咎人の懺悔の如く小さく、それでもはっきりと伝えられる言葉に、趙雲は注意深く耳を傾ける。一字一句聞き逃してなるものかと、こくりと控えめに喉を鳴らす。
「わたしは、わたしのために戦場に立ちます」
戦うことだけが、わたしのすべてなのです、
幸村は告げる。否定も糾弾もその余地すらない、他者の一切受け付けない、まるで幸村そのものがそうであると示唆した語り口調だった。
「安寧の世など、息苦しいだけなのです」
血が凍る思いだった。自身と、そして敬愛する主君劉備の求める世の思想を否定されたからではなかった。
ただ、ただ、悲しい、と。
「幸村殿、それは悲しい生き方だ」
ええ、ええ、わかっております、わかっておりますとも。
滂沱の如く流れを増す落涙に、趙雲はなお一層力を込めて抱きしめた。戦乱の世で否応なしに纏わりつく数多の災厄や恨み、悲しみから幸村を守ってやるために、趙雲は優しく、幸村を慰め続けた。
徐々に納まる嗚咽に、趙雲は幸村の頬の涙を拭ってやった。安堵の息を漏らす幸村に、自然、趙雲は緩やかに破顔する。
すう、と息を吸って、幸村が顔を覗かせる。縁を仄赤く染めた漆黒の双瞼は、濡れて艶めき、無意識に引き込まれていくほどだった。真っ直ぐに意志の強さを感じさせる視線が趙雲を射抜く。そっと、自分の胸に当てた掌。其の白さに一瞬、趙雲は目を奪われる。
「けれど、その事実に、私は酷く、安堵するのです」
戦場で生きて、戦場で死ぬもの。
満ち足りた笑みを前に、趙雲は口を閉ざすのであった。
配布元:不在証明
中国で「鬼=幽霊」は突っ込まない方向でよろしくお願いします・・・。